朝青龍を弁護 






重ねてこの問題に言及するのは、無謀な所行かもしれないけれど。


渦中の朝青龍関が、約3週間振りに自宅を出て顔を見せた。
その顔貌が、「解離性障害」には合わない、仮病では、などと、またぞろ非難の声があがっている。
メディアや一般人が、醜聞に興味を持ち騒ぎ立てるのは、世の常ではあるが、それにしてもだ。
朝青龍を擁護することを許さないようなこの独特の雰囲気は、いったい何なのだろう、と、連日の報道を見ながら、不思議に思っている。

今回の日本中からの激しいバッシングによって、彼の心が大きな傷を負ったことは、明白である。
彼は「傷付いた人」の顔をしている、それで充分ではないか。
病名とはもともと、人間が社会の中でその状態を処理するための分類として、付けたものであって、なんら根源的なものではない。


処分を受けた後の朝青龍の反応は、日本相撲協会の予想を超えていた。
協会は、唯々諾々と処分に従い、殊勝に謹慎する横綱の姿を、期待していただろう。ところが、そうは問屋が卸さなかった。

協会は、朝青龍が自分で考える力を持った、1人の成人だということを忘れている、と私は思う。
集団の調和のために個人を封じ込め、「みんなと同じ」が何より大事、とするのは、日本人の特質である。しかし朝青龍は日本人ではない。そういうふうには考えないだろう。
自分で考え、納得できなければ、彼は動かない。

朝青龍は、親交のある細木数子女史に、
「先生、おれはチャリティーで観戦に行ったんだ。」
「サービスで10分くらいボールを蹴って見せただけなんだ。」
ということを言ったそうだ。
彼には恐らく、それがどうしてこんなにも責められるようなことなのか、理解できなかったことだろう。今でもそうかもしれない。


『日本の常識は世界の非常識。』
この件を見ていると、私の頭の中にはこの言葉が繰り返し浮かぶ。
この件が、その典型なのではないか、ということを恐れる。


従来日本では、朝青龍の素行に対し、否定的な見方が強い。

曰く、「親方に無断で度々帰国する」ーしかし、大の大人が、しかも修行中の身でもなくすでに仕事につき働いている一人前の社会人が、休暇に故郷に帰るのにいちいち親方の許可を得なければならない、という制度自体が、間違ってはいないか?。帰郷の理由には、他人に言えない家庭の事情だってあるかもしれない。

曰く、「懸賞金を左手で受け取る」ー問題扱いにする前に、どうして本人に直接左手で受け取る理由を聞き、しきたりは右手だ、以後守るように、と明確に話すことをしないのか。ただ知らなかったり、重要なことでないと思っていただけかもしれないではないか。

曰く、「乱暴なけいこで相手を病院送りにした」ー怪我をさせようとしてさせたわけではあるまい。血気盛んな若者が、勢いづいてちょっとやり過ぎた、というふうに、見てやることはできないのか。

どれも私には、目くじらを立てるほどのことには思えない。


今回の件も同様である。
人前でほんの一時、ボールを蹴り走る姿を見せてしまったというだけのことだ。

その場で見ていたモンゴルのプレイヤーや観客たちは、どう受け取っただろう。
「なるほど彼はすこぶる元気で、巡業をずる休みしたいために体を壊したと嘘をついているのだ。」と思っただろうか?。
「体を休めるために帰国したのは承知しているけれど、その間にちょっとでもスポーツマンの姿を拝ませてもらって嬉しい。」と、思ったのではないだろうか。


日本の中では、「朝青龍の行動は間違っている、彼がそれを正さないのがいけない」というのが、常識的な見解である。
しかし、モンゴルの人たちがそれと同じように考えているだろうか?。
そしてその他の国の人たちなら、どう考えるだろう?。
もしかして、「日本人が、訳の分からない狭量な判断に走っている」ようにしか、見えないのでは、と私は懸念する。


例えば、モンゴル政府が送ってきたという謝罪のファックスに、相撲協会なり日本政府なりの誰かが、きちんとした返答を返したのだろうか。
私には、そういうことの方が気になる。
いかに朝青龍が日本の国技の構成員であるとしても、モンゴル人でもあり公人である彼の処遇について、日本からモンゴルに対して、何らかの表立った説明をすべきではないのだろうか。

横綱の良識を問うのは結構だけれど、ならば日本ないし日本人もまた、世界の一員としての良識を問われるのが当然である。



朝青龍が負った精神的ダメージが、回復できるほどのものであればいい、と私は念じている。
しかし外出時の彼の顔を見て、心配しなくてはいけないのはそれだけではないように感じた。

彼の顔は、傷付いた余り惚(ほう)けている人の顔ではなく、正気で苦しんでいる人の顔、そして納得していない顔、と私には見えた。
今回の不条理な扱いに対する不満と怒り、なのにそれをどこにも吐き出せない誰にも分かってもらえない絶望、そして日本と日本人に対する強い不信感が、彼の心の内に生まれ、渦巻いてしまっているのではないだろうか。

日本人が朝青龍を邪険にするなら、朝青龍から日本人は邪険にされるだろう。
事態は修正不可能な方向に向かっているように見える。


朝青龍の精神衛生上、今は日本から離れ、故郷の懐に抱かれるのが最善と思う。
どうにかそれが実現しそうな、状況でもあるようである。

けれどそうなった時のその旅は、短いものではないように思われる。
彼の胸に刻まれた不信感は、二度と日本の相撲界に戻りたくないという気持ちにさえ、彼をさせてしまうかもしれない。
それは日本の相撲とファンにとって、悲しい損失である。
そこまで見越して、高砂親方が日本にとどまるよう説得しているのだとすれば、達観だが。


サッカーをしていると報道された時の朝青龍は、幸せそうな、満面の笑みをたたえていた。
日本のマスコミと相撲協会と一般人の攻撃という嵐が吹き荒れた後、その笑顔は失われていた。
再びそれを見ることができるだろうか。

どうしてこんなふうに傷付け合わなければならないのだろう。
暖かい目で相手を見る姿勢でさえいれば、こんなことは、起こさずに済むことではないのか。
自然の災厄ならば避けようもないけれど、人の心の持ちようは、もっと変えようがあるものであろうと私は思う。

より良い解決を期待したい。


2007.08.25  





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