[何が正しい治療なのか]


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若かった頃、学会や学会主催の講習会を、食い入るように聞いた。
有能な皮膚科医になるための、貴重な勉強の場として。
正しい診断、より良い治療のできる医師になりたくて、病気や治療の詳細な知識も、新しくわかってきたことも、少しでも多く自分の中に取り込もうとしていた。

そんな頃受講した、皮膚科学会主催の皮膚癌に関する講習会で、忘れられない衝撃をおぼえたことがある。テキストの抗癌剤治療のリストの中に、すでに使われていない処方が、重要なものの1つとして入っていたのだ。
「これからの医療を担う若い皮膚科医師たちに皮膚癌治療を教育する講習会で、どうしてこんな過去の治療を勧めるのか?」
当時大学病院で、第一線の困難な皮膚癌治療のただ中にいた私は、非常にとまどい、腹立たしくさえ感じた。

理由はおそらく、講師陣の1人にその処方を考案した大家がいらしたから。
歴史的業績として扱えばいいのに、気を使ってそうはできなかったのだろう。
ましてや「今ではもっと効く薬が出てきてるから、これは使いませんね」などと、ご本人の前で公言するなんて。

そのとき学んだのは、学会もまた、人のわざだということ。
決して、完全無欠、唯一正当な教科書ではないのだ。
学問の粋を集めた、最新の知見を披露する、科学の祭典には違いなくても、そこにはそれを運営する人間の情が入り込む部分がどうしてもありうる、ということである。


一般の医師がいい発表をすることもできなくはないが、ふつう学会の主要な講演は、大学の在籍者を中心とした、専門分野に詳しいとすでに知られている一握りの医師たちが演者を占める。

専門分野における臨床研究の最先端にいる人たちだからこそ、一般の医師が学ぶ価値のあることを話してくれる。
確かにそうではあるのだが、つねに同じようなメンバーが趨勢を支配するという状況は、危ういとも言えるのではないか。

学会という所には、いつでも最新の、最高に正しい情報があると、誰もが期待する。
けれど現実には、いくら専門家といえどそうそう毎年何回も新発見があるはずもない。
それでも同じ話ばかりをくりかえすわけにもいかない。

彼らは、少しずつでも「それは知らなかった」と聴衆がうなるような目新しい話題を加えていかなければならない。つまり何かしら、今までと違う方向性を打ち出していくことをいつでも要求されていることになる。
これは、結構な負担であり、不自然な状況でもある。

発表としてまとめるために、彼らは新知見に解釈を加える。理論的裏付けとなるような論文や報告が見出せれば、それも利用する。そして全体を、聴衆の受け入れやすい1つのストーリィに構成する。
臨床研究の結果は事実であっても、解釈は人間の思考だ。科学ではない。

彼らの構築した理論展開が、学会を覆い尽くす。聴衆はそれに従う。
新しい正しいやり方が、日本中に広まる。
さながら、有名デザイナーのファッションショーが、その年の流行を決めていくのと同じように。

理論がほんとうに正しかったかのかどうか・・・それは、後の世にならなければわからない。


アトピー性皮膚炎治療における最新の皮膚科学会での趨勢では、増悪因子の除去は補助療法という位置づけに格下げされ、皮膚の角質機能の問題が強調されて、外用薬による皮膚症状の寛解導入とその維持に主眼が置かれている。

そのなかで、眼に見える皮膚病変がなくなっても、TARCという新しい検査の値が正常化するまでステロイド外用剤を減量すべきでないとか、reactive(反応性;発疹が出たら対応)でなくproactive(順行性;先を見越して)な治療をとして、見た目は治まっていても炎症は残存しているから、週2回程度のステロイドやプロトピックの外用を続けるべきとかいった、新しい方向性が出されている。

小児科学会でも、数年前から食物アレルギーへの経口減感作療法の試みが進められていること、石けん使用で形成された小麦アレルギーが問題になったことを背景として、「口から摂ることはむしろ免疫学的寛容へ促し、皮膚から吸収される抗原がアレルギーになる原因なのだ」とする説がすっかり主流になっている。
だから皮膚から吸収しないように、ステロイドで健康な皮膚に治し、保湿剤をぬってつねに守りましょう、という理論である。

いずれも、過去の治療とは著しい様変わりだ。
IgEを介するアレルギーだから、アレルゲンを環境や食事から除いて悪化を防ぎ、できた湿疹はステロイド外用で治しましょう、であった、ほんの10年から数年ほど前までとは、正反対とさえ言える部分さえある。

いくら今までの治療で十分治せなかったからといって、いくら希望の持てる新しいやり方が必要だからといって、ここまでの方向転換にはついていけない。
大変失礼だが、節操がなさすぎやしないだろうか。

湿疹が軽微になったら、もう週2回くらいの外用にとどめておきましょうという論法ならわかるが、すっかりどこにあったか分からないくらいになってもなお間欠的に外用ステロイドを続けるのは、塗り過ぎになる危険をはらむ。

また、皮膚から吸収されて体内に入った抗原のためにアレルギーとなることがあるからといって、消化管からの吸収がアレルギーを生じないという根拠にはならない。
乳幼児は消化管が未熟で蛋白分子が大きいまま吸収され、アレルギーの原因となりやすいと言っていたあれは、どうなったのか。

「湿疹が消えたらステロイド外用は止める」という指導が、問題だとされ、ひどい食物アレルギーを持っていても、食べてもいいのかと思わせるような指導が正しいとされる。
どこかおかしくはないだろうか?

確かに、なかなか治らない病気では、医師も大変だ。
手を変え品を変え、さまざまな方法を試みるしかないことも、医師の1人として非常によくわかる。
けれど「新しい治療」即「正しい治療」ではない。

ところが、学会で専門分野に優秀な先生方は、正しい治療を啓蒙すべき指導的立場にあるという意識も強いから、「自分の見つけた新しい治療法」イコール「これからの正しい治療法」という認識になりがちなように思う。

新しい考えを教えて頂けるのは大変ありがたいのだが、一握りの専門家の一時の考えですべての医師を管理しようとされるのには、閉口する。
医学会にはむしろ、自由な発想が勇躍できる、学問と診療の砦(とりで)としての役割を期待したい。

難しい病気においては、画一化した治療で、どの患者の治療も同じ方向性に統一させようとするのは無理だと思う。
医師個々人の知識と良心にもとづく治療の姿勢を信頼し、患者の理性と指向を尊重してくれることは、できない相談なのだろうか?

2013.2.  


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